初代館長 河村輝山


八光流柔術との出会い

昭和22年2月8日、大垣市生まれ。幼少期より病弱、成人後も入退院する日々。

昭和45年頃、父の部下より「指圧と柔術で病気が治る道場がある」と八光流本部の話を聞き、大宮本部道場を訪れる。

初代奥山龍峰宗家に出会い、脈審、指圧、周囲が驚く程体調回復。その後、3年間に渡り毎月10日間本部に通い、併設の柔術道場にて八光流柔術を修得、1日8時間の練習にも耐えられる体力を得る。

昭和49年、八光流柔術師範位授与。自身の体調維持と自身の人生を変えた八光流を広めたいとの思いから、悟道館道場を設立。その後、地域の健康講座講師や地元スポーツ少年団設立等、次第に広まっていった。


様々な達人との出会い

川辺正二 先生 (大東流有段者)

八光流柔術全国師範会にて出会う。八光流の源流である大東流の技を直接伝授。その後の自身の技に大いに影響を与えた。

 


西田重雄 先生 (戸山流藩士八段)

自身の刀の拵えを依頼しに偶然訪れたのが始まり。後に抜刀道の道に歩むことになる大きな出会いとなる。

 


中村泰三郎 先生 (中村抜刀道宗家)

西田先生の師で、後に直接指導も受け、現在も宗家直筆の書が本部道場に飾ってある。誰もが知る斬りの名人。平成2年、西田先生と共に中村流抜刀道二代目として認定される。

 


その他、創設時には杉山正彦先生(剣道八段)にも大変ご尽力いただきました。

 


本部道場設立

平成15年、自社の2階に本部道場開設。悟道館の拠点ができる。同時に就学前幼児対象の幼年部を設立。

平成16年、武道雑誌「月刊秘伝」の取材を受け、同年12月号に特集記事として取り上げられる。

平成17年、隣接する3階建てビルを新たに悟道館本部道場とし、日曜日に抜刀道教室を開設、日本刀を使った実践的な指導で評判となり、遠方より入門者が訪れる。

その後、全国有名神社の奉納演武にも参加。交流の場が広がり、毎年秋には岡山大会、宇都宮大会に出場。上位入賞を果たす。また、スペースを利用して、各方面との交流、イベントにも道場を貸し出し広めている。


輝山館長の軌跡

初代館長の最後の舞台となった第28回宮島厳島神社奉納古武道演武大会 (令和5年6月4日)